眼鏡はいつ、どこで、誰が発明したものなのか?ということについては確証がありません。1317年にイタリアのフィレンツェで亡くなった、サルヴィノ・デグリ・アルマチという人物だという説やイギリスの哲学者ロジャー・ベーコンだという説もあります。そんな中、1289年サンドロ・ディ・ポポゾという人物が「家庭経営論」という本を執筆し、その中で「私は年を取ってはなはだ視力が衰えたので、眼鏡と称するガラスなしには、もはや、読むことも、書くことも出来なくなってしまった。その眼鏡なるものは最近発明されたもので、視力の衰えた我々老人にとっては、まさしく恩寵である」と記しています。この資料から推測すると眼鏡は13世紀に発明されたものであると言えそうです。
さて、ここからは「眼鏡の社会史 白川晰也著 ダイヤモンド社刊」を参考に、眼鏡の歴史について見ていきましょう。まずは、世界の眼鏡の歴史遺産です。
次に安土桃山時代から江戸初期にかけて流行した、狩野派による南蛮屏風です。描かれているのはポルトガル人、スペイン人です。南蛮屏風全57点中、眼鏡を掛けているのは以下の3点の作品です。
南蛮屏風とならんで、近世初期の風俗画で流行したのが祭礼風俗画です。なかでも「豊国祭礼図」には眼鏡を掛けた日本人が描かれています。眼鏡装用の日本人を描いたものとしては初めての画と言われています。
眼鏡の国内生産が本格的に始まるのは貞享・元禄年間の頃です。このころから細かい手仕事をする職人を描いた絵に、眼鏡を掛けている人物を散見するようになります。それらを見ていきましょう。
長崎出島のオランダ商館への出入りが認められた最初の絵師、川原慶賀の作品を見ていきましょう。彼の作品はすべて人から頼まれたもので、自分の意志で描いたものは一つもないそうです。シーボルトの愛顧により、無名で終わるはずの彼の作品の多くが、オランダをはじめとする海外に現存しています。
美人画で有名な喜多川歌麿の作品を見ていきましょう。「教訓・親の目鑑」「千話鏡月の村雲」の2作品に眼鏡が登場します。
江戸期の眼鏡製作は具体的にどのようだったのでしょうか? そんな疑問にヒントをくれる文章があります。享保17年(1732年)に出版された「万金産業袋」という著作です。京都の人、三宅也来という人物によって著されたものです。この人物の詳しい素性はわかっていません。
眼鏡の詳細な説明が種別になされています。ここでは14種の眼鏡が取り上げられています。丸眼鏡、近目鏡、瑕目かね、虫目かね、遠目鏡、月めかね、日目鏡、日取目鏡、月とり目鏡、五色目鏡、七つ目鏡、横三つ目鏡、八方目鏡、日蝕目がね、そして最後に遠目鏡の図となっています(下図)。日蝕を観察していたのは、現代人と同じで共感を得ます。