EMDRの症例

EMDRを施行した心的外傷の症例をご紹介します。どれも胸が痛くなるものばかりです。下記症例では、EMDRが効果的なカンフル剤として、その効果を発揮しています。

不登校

○症例1 中3女子

幼稚園から小学校卒業まで、学級のほぼ全員から長期間のいじめを受けていた。教師が、いじめに加担していたこともあるなど、辛い小学校生活であった。中学校は別の中学に進学し、1年間は中学生活を楽しんでいるようであった。しかし、中学2年から、学業面での躓きから強迫症状を呈し、登校ができなくなり、中学3年の春に治療を受けにきた。

 

中学校の環境面には、とりたてて問題が見られず、学業面での軽い躓きについては、「自分に弱いところがあると、いつ仲間から攻撃を受けるか分からない」との恐怖が生じ、学業を完璧にこなそうとして苦しくなっていった。

 

保護者面接で、生育歴を詳細に尋ねると、小学校時のいじめの被害体験が複雑に重なっており、複雑性トラウマの様相を呈していることが明らかになった。本人は、小学校時代の記憶は漠然としており、保護者が語る以上のことを本人は思い出せずにいた。保護者の話すエピソードも実感を持って思い出せないなど、解離性の健忘も認められた。

 

 面接の期間は1年に及び、最終的にEMDRを7場面について10回のセッションで導入している。EMDRが進むにつれて次第に小学生時の記憶を思い出せるようになり、そのたびに、クレヨンで当時のことを絵に描きながら、丁寧に記憶の再処理を行っていった。通常の会話の場面で、強烈なフラッシュバックを起こす形で、小学校時のことを思い出したこともあった。

 

しかし、本人はEMDRが確実に自分の怖さを取り除いていく感触を得ており、「ときどき最中に記憶がなくなるときもあるけれど、最後は治療者が戻してくれるので大丈夫」と語り、セッションを休むことなく、トラウマ処理を行った。面接は、進路相談や学校への再適応のための現実脱感作などを複合的に用い、約1年に及んだ。その後、高等学校に無事進学し、楽しく高校生活を送っているとのことである。

○症例2 小6男子

担任教師の友人対する強い叱責を見たことが契機となって、小学5年生時の夏から不登校となった。心療内科で「うつ」の診断を受け、1年間にわたり投薬治療を受けていたが、芳しい効果が得られなかった。直接にEMDRを施行したのは、2学期末に1度だけであった。そのEMDRの結果、担任教師への恐怖感と苦手意識は急速に減少した。EMDR施行後、放課後に登校でき、クラブ活動に参加するようになった。3学期の後半には、集団に入ることへの抵抗は薄れ、卒業式の練習と卒業式には参加した。この間、私塾には行き続け、私立中学を受験し、希望校に合格して中学ではのびのびと生活している。

○症例3 中2男子

中学1年1学期末から腹痛など身体愁訴があり、2学期から欠席が目立ち始め、10月から不登校となった。3学期から教育相談室で相談が開始され、適応指導教室に入級した。しかしながら、通級も一時的で外出先で中学生の姿を見かけた時や、公共交通機関に乗車する際に、強い緊張感や恐さを覚え、適応指導教室や教育相談室への通級、来所がままならなくなり、憂うつ感を伴った無気力感を訴えるようになった。中学2年の3学期末に対人恐怖傾向と憂うつ感の解消を目的として紹介されてきた。

 

身体症状を訴え始めた頃に、仲間から誹謗中傷を受ける形で、いじめられた経験があった。そこで、これについて詳細に尋ねていった。その中で、「誰にも頼れない」との否定的認知があり、この認知と生育歴上の記憶の関連から、小学2年生時に両親が離婚をした際のエピソードが浮かび上がってきた。

 

本人によれば、離婚にまつわるさまざまな出来事の中で傷つき、「こんなの嫌だ」「淋しい」と強く感じながらも、その気持ちに封印をしていた。その中で、「母や妹のために、僕がしっかりしなければ」と母親と妹を支えようと健気に頑張りつづけていた。母親からも、小学2年のこの時期から急におとなしい子どもへと激変したことが報告された。そこで、離婚にまつわる記憶に定めて、EMDRを行った。このEMDRの際には、母子合同で面接を行い、本人の当時の辛さを、母親が受け止める機会を合同面接の場で与えた。

 

EMDRは5回行われたが、その後、本人は外出が楽になり、学校関連場面以外での恐がりは見られなくなり、抑うつ傾向が消え、感情表現が豊かに見られるようになった。そこで、教育相談室にその後の相談を委ねた。その後、中学3年生1学期には、適応指導教室に通えるようになり、中学3年の2学期には、週に数日は登校できるようになった。不登校の期間に、趣味のパソコン検定に挑戦し合格し、高校の進路もパソコン関連の専科のある高校を選択した。そして、無事に受験に合格し、進学していった。

災害被災者のPTSD

○症例4 初診時33歳女性

阪神大震災の数日後より興奮、滅裂な言動が見られた。平成7年4月某総合病院精神科を受診し、PTSDと診断される。ハロペリドール(抗精神病薬)3㎎の投与を受け10日ほどで症状は改善した。その後、ハロペリドール0.75㎎/日の服薬を3年半続け、平成10年夏頃より頓用に切り替え安定していた。平静11年8月には震災後4年半というニュースを見て、手が乾く感じが蘇り、夜中に叫びだして震災直後と同じ興奮および滅裂状態になった。

 

結婚による転居で○○年9月に初来院。震災の話題が出ると不安になり過呼吸が出そうになる。思い出すと、大事なものを失ってしまったような悲しみ、苦しみが出てくると同時に、一過性とはいえ滅裂思考、興奮、不穏、不眠が見られ、抗精神病薬が奏功して症状は速やかに消失し、発症前の機能レベルに回復することから短期精神病性障害も併存するのではないかと推測した。PTSDに対しては○○年11月にEMDR治療を1回実施した。施行前SUDs(主観的障害単位)=4が、SUDs=1に改善した。○1年1月28日の外来では「毎年1月17日には著しく不安定になるので夫が休んで備えてくれたが、なんともなかった。以前は壊れてしまったのでやり直しができない、もう終わりという感じがしたが、今は、壊れてもまた新しく作ればいい。過去は過去だと思える」と語り、SUDs=1のままであった。震災の記憶に伴う苦痛が軽減したのみならず、震災の記憶を過去として整理し、未来に向かって人生を再構築していける変化が自発的に進んでいる。その後、毎年1月17日が来て震災の報道があってもPTSD症状が出ることは全くない。5年ほど続いたPTSD症状は1回のEMDR治療で見事に消失した。

 

この患者はその後なんの精神症状も示さぬまま経過していたが、○8年5月、対人関係のトラブルがきっかけとなり再び滅裂思考、不穏、興奮、多弁、不眠の症状が出現した。ハロペリドール1.5㎎/日の投与で3週間ほどで軽快した。軽度のストレス状況でこのような症状を呈したことから、震災に伴い発症したPTSDとは別に独立してこの患者には短期精神病性障害が存在することが明らかとなった。ちなみに、震災の記憶を想起しても地震の報道を見てももはやPTSD症状は全くでない状態であることも確かめられた。

急性ストレス障害

○症例5 10代女性

教室で、あまり知らない同級生から、突然ナイフで数十か所刺され、大量出血で救急病院に搬送された。被害状況から担当医師が精神的なケアが緊急に必要であると判断した。

 

体中にガーゼが当てられ、点滴のルートが付けられたベットに横たわり、働きかけても緘黙(かんもく)で、じっと空(くう)を見つめていた。感情の麻痺に加え解離も起こしており、夜は眠ることも出来なかった。ベットサイドでsafe placeを施行し自責の念に対してEMDRも行った。

 

同時に両親に、子どもの精神的状態の説明と今後の対応法についてインフォームドコンセントをしながら、家族の心の問題を取り上げ精神療法も行った。さらに、担当医師と警察官に対応法と注意点について指導をした。

 

かなりの重傷だったが、数回の治療の後、被害者の並々ならぬ努力もあり退院後すぐに学校に復帰した。その背景には、学校側や同級生の配慮と協力もあった。しかし、マスコミは表面だけを見て「軽傷だった」と報道してしまい、家族や被害者は再び大きく傷つけられた。定期的に家族を介して間接的な治療を行っているが、彼女はハンディを持ちながらも力強く生きている。

○症例6 20代女性

深夜男性が窓から侵入。1階の自室で就寝中ナイフを突きつけられ「殺すぞ」と脅されレイプされた。被害届を出したが、事情聴取などで家族に迷惑をかけたという自責感がある。恐怖で自室に近づくことができず、また、用心のために2回に生活の場を変えた。食事が摂れない。1人になると泣いてしまう。夜が恐ろしく眠れない。毎夜、犯行時間頃になるとフラッシュバックが起き過呼吸を起こす。人の目が怖い。暗さが怖いため明るいうちに退社して帰宅するが、車庫から家までの数メートルが怖く、親を待機させ一目散に走らねば家に入れない。

 

支援員の付添にて受診。加害者は未だ逮捕されてはいない。IES‐R(出来事インパクト尺度cut off 25):55、SDS(うつ自己評価尺度):56.薬物療法(睡眠導入剤頓用)を開始、EMDRのsafe place(安全な場所)を施行。その後、眠れるようになり少し落ち着いてきた。

 

窓に格子をはめる工事を前にして、深夜再び侵入者があった。しかし、防犯のために飼った室内犬が騒いだため犯人はすぐに逃げた。警察の取り調べの結果では同一犯の可能性が高かった。その後、夜中になると誰かが自分の上に覆い被さっている感覚や息づかいを感じるフラッシュバックが出現するようになり、寝ること自体が怖くなった。

 

そのため被害場面や職場から家に帰る恐怖などについてEMDRを3回施行した。自責に関する否定的な認知は改善していたため、安全感に関する否定的な認知について主に扱った。EMDRにより「事件は事実だが、夢のようだった、今は安全だ」と思えるようになり、フラッシュバックは消失し、普段通りの生活ができるようになった。IES‐Rも26に低下し、投薬も必要なくなったため、初診から経過約1カ月で治療は終結した。

 

犯人は未逮捕で被害者には不安が残るものの、物理的な防犯対策と家族のサポート、さらに警察が自宅周辺を重点的にパトロールしてくれることになったのも安定化に繋がった。

解離性同一性障害(DID:Dissociative Identity Disorder)

○症例7 20代女性

児童期に性的被害を繰り返し受けていた。過呼吸発作や解離症状、木の枝や土を膣に入れる異常行動、リストカット、拒食などがあり10代より精神科病院に入退院していた。不安定な精神状態で、自傷行為と拒食が激しいためA病院に入院。交代人格の存在が判明してDID(解離性同一性障害)の診断を受けた。

 

攻撃的な人格がピンを繰り返し飲み込むため、A病院での入院継続は困難となり転院してきた。ヘアピンを膀胱、膣に入れ、さらにはピンが子宮を突き抜けたため救急病院にて開腹して摘出を行った。拒食状態については、複数の子ども人格が「食事をするな」と騒ぎ、食事が摂れないことが判明した。

 

催眠によるテーブルテクニックを行い、全人格と治療契約を結んだ。まず、各人格の安定化とラポールをとるために丁寧にそれぞれの人格に働きかけ、同時に外傷記憶について調べた。自傷行為を繰り返す人格と同じ外傷記憶を持つ人格に対してEMDRを施行した。その後、Clの自傷行為は消失し、自ら危ないからとヘアピンをナースステーションに持ってくるようになった。

 

別の2つの外傷記憶についてもEMDRを行った結果、主人格を恨んでいた人格の認知も変わり、皆で主人格を守るのだと言い出した。まだ、現在も入院治療中であるが、外泊を繰り返しても、自傷行為も含め自己破壊的な行動は全くなく、集団に入ることができなかったClは作業療法に楽しんで参加している。

参考文献

 

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